遠き世界











まだ見ぬその場所











そっと思い描き











そっと思い偲ばせる











桜の木々に











気持ちをのせて































































































桜の精


































































































桜の花が咲き誇っている庭を、私はボーっと眺めていた。

広すぎるこの屋敷の中では女中たちが忙しく動き回っている。確か今日は、父様とどこぞの国のお偉いさんが会食するから、みんなその準備に大忙しだ。

私も顔を出せといわれているけど、正直めんどくさい。だって、そんな人たちに興味ないし。それならこうして、桜を見ていたほうがずいぶんマシ。



「綺麗だなぁ・・・」



桜はどこまでも美しく、そしてどこまでも儚い。まるで人の生き様みたい。

私もこんな風に、美しく咲き誇れたらどれだけ幸せだったのだろうか。

そんな、叶いもしない願いをふと思い浮かべてみたり。

そんなときだった。ふわっと風が吹いたのは。

桜の木々がザァーっと揺れて、花びらがひらひらと舞い落ちる。まるで夢の中にでもいるかのように、幻想的な雰囲気がそこにはあった。

声も出ず、私はただその風景を眺めていた。

そして、しばらくすると、その中に人が立っているのが見える。紺色の着流し。たぶんあれは男の人。

こんなところで何をしているんだろう。ここは屋敷の庭なのに。新しい使用人?それにしては立派な着流しを着ている。

桜の精だったりして。まさかね、そんなことあるわけないか。

でも、もしそうだったらすごく神秘的。誰よりも美しい世界に、私は存在することになる。

男の人は風を纏うようにこちらへ向かってきた。黒い髪がさらさらと流れるように揺れる。桜の中を歩くその人は、やっぱり桜の精に見えた。

ゆっくり、ゆっくり。その人は歩いてくる。そしてふと、私の前で立ち止まった。

なんて綺麗な顔立ち。すらりと高い背に、紺色の着物がよく似合っている。腰には脇差。武士なのだろうか。

少しタレた目が私を捉えた。私は何も言えぬまま、手をかけていた窓枠から起き上がり、目線を合わせる。

満開の桜がその人の背景を鮮やかに彩った。どんな絵よりも美しい。あぁ、なんて・・・神秘的な人。

声を出そうとしたけど、なぜかそれは叶わなかった。貴方はだれ?どうしてここにいるの?聞きたいことは山ほどある。



「よぉ」



私よりも先に、彼が声を発した。先ほどとは違い、フっと笑みをこぼして。

笑った顔も、また美しい。ただそこには、少しばかりの怪しさがあった。不思議な人。



「こ、こんにちは・・・」



やっと出たのは挨拶の言葉。しかもどもってしまった。まだ上手くしゃべれない。どうしてしまったんだろう、私は。

二人の間をしばらく沈黙が流れた。ただ、風が桜を揺らす音だけが響いている。

ざぁ、ざぁ。あぁ、なんて心地よい音。沈黙が嫌だとは思わなかった。

目の前にいる彼はまだ笑みを浮かべている。その顔はやっぱり綺麗で。桜もやっぱり揺れ続けていた。

その時。



様ー!様ー!」



女中の声だ。私を呼んでいる。

その声に気付き、彼はくるりと後ろを向いてしまった。

そして、ちょっと振り返り、また少し微笑んで。



「じゃあな」



風を纏いながら彼は去っていった。静止の声は出ない。出そうと思ったときには、もう遅かった。

彼は一体何者なのだろう。桜の精?風の精?ただ、一つだけわかること。

もう一度会いたいと思った。その事実。

たった数分しか一緒にいなかったし、交わした言葉も少なかったけれど、なぜかもう一度会いたいと思った。

あの綺麗な黒髪が、あの怪しい笑みが、あの低い声が。どれも私の心に残っている。

私はその場からしばらく動けなかった。まだぼぉっとした頭は働かない。



様。こちらにおられたのですか」



そんな私は現実に戻したのは、女中の声だった。猫の手も借りたいくらい忙しいと、顔に書いてある。

はぁ、と小さなため息をついて私はゆっくり立ち上がる。淡色の着物を軽くはたいて、しゃんと立って見せた。



「会食が始まります。すぐに仕度を」

「わかりました」



名残惜しそうに一度桜を見て、私は女中の後に続く。

会食なんて、どうでもいい。どうせ父様のお金が目的で媚を売るんでしょ?そんな大人の事情に私を巻き込まないで。

そんなことするくらいなら、もっともっと――

この桜を見ていたいのに。










































































































翌日。私はまたあの場所で、桜の木を眺めていた。

昨日はただなんとなく綺麗な雰囲気を感じていたいだけだったけど、今日はそれだけじゃない。

もう一度あの人に会いたいと、そればかり考えていた。

もちろん桜も綺麗だけど、やっぱりあの人のことが頭をよぎる。もう一度私の前に現れてはくれないかしら。

あの人のことを考えるだけで胸がドキドキした。もっとあの人のことを知りたい。もっとあの人としゃべりたい。もっと、もっと。

人間とはなんて欲深い人種なんだろう、と思った。挨拶しか交わしていないのに、昨日初めて会ったばかりなのに、これほどまであの人のことを考えている。

自分でも制御の利かないこの思い。一体、どうすればいい?

そんなことを考えている中、またふわっと桜が揺れた。

柔らかな風が吹く。ひらり、ひらり。落ちる桜の花びらは、まるでスローモーションに見えた。

あ。あの人が来てくれる。

なんの確証もなかったけど、なんとなくそんな気がした。

また風を纏って、桜の木々を背に負って、ゆっくりと歩いて来てくれるような、そんな感覚に陥る。

すると、遠くに紺色の着物が見えた。

やっぱり、来てくれた。

嬉しくて、一人笑みをこぼす。あの人はまたゆっくり、ゆっくり歩いてきて、私の顔を見るなりフッと笑った。

そして、また声をかける。



「よぉ」



昨日と変わらぬ低い声。心地よい、その風景。

今度は私もすんなりと声が出た。



「こんにちは」



彼と同じように私も笑みをこぼす。昨日より、彼は私の方へ近づいてきてくれた。

背の高い彼に目線を合わせるように、私は少し上を向いた。

桜と一緒に、青い空も眼に入る。あぁ、なんて綺麗な風景。



「お前、名前は?」



彼が聞いた。私は静かに、、と答える。

あなたは?私は聞いた。

三上亮。彼は答える。

亮さん、かぁ・・・。うん、綺麗な名前。清楚な響きがとても気に入った。



「なぁ、お前はなんでいつもここから桜を見てるんだ?」

「え・・?」

「外にはもっと桜の綺麗な場所があるだろ?」



するどいな、とすぐに思った。

外の世界なんて、私はまだ知らない。だって私は・・・。



「この屋敷から出られないのです」



そう。私はこの屋敷の一人娘。そんな私は父様が外に出すわけがない。

だから毎日、この窓から桜の木を眺めていた。羨ましい。風にのってどこまでも遠くへいける花びらたちが、とてもうらやましかった。



が外に出られないというなら、俺がお前を連れ出してやる」



亮さんは私の髪をそっと撫でたあと、しっかりと腕を掴んで、自分のほうへ引っ張った。

ふわっと体が浮いて、気付けば私は窓を飛び越え、亮さんの胸の中にいた。

何が起きたのか、全く理解できずにただただされるがまま、私は亮さんの胸の中に収まる。



「亮、さん・・・?」

「ずっと見てた。屋敷の外から、ずっと」

「え・・・?」

「こんな屋敷より、外の世界は何百倍もおもしろいぜ。俺が教えてやるよ」

「本当、ですか?」

「あぁ。だから俺と来い、



涙が溢れた。やっぱり貴方は桜の精なのですね。

外の世界にあこがれた私を、貴方は連れ出してくれる。こんなに嬉しいことはない。

桜の花が舞い落ちる中を、私たちは駆け抜けた。

屋敷の外、まだ見ぬ新しい世界へ。









貴方と二人、どこまでも――


























季節はずれもいいとこですね。久しぶりの亮夢。

花月