人魚姫
異界の人に恋をした
哀れな哀れな人魚姫
声を失い 泡と消えても
王子を愛した人魚姫
夢 み た 世 界
日曜の午後。私は毎週この時間になると、近くにあるサッカーグラウンドに来ている。
そこではなにやらたくさんの少年たちが楽しそうにサッカーをしていた。青いユニフォームには東京の文字。よくわからないけど、きっとすごい人たちの集まりなんだと思う。
車椅子に乗って散歩しているとき、偶然見つけたこの場所。私は足が悪いからサッカーなんて夢のまた夢だけど、その人たちがあんまり楽しそうにボールを蹴るから、私も興味がわいた。
最初は一緒にやってみたいと思ったけど、今は見てるだけで充分。むずかしいルールとかテクニックとかは知らないけど、みんな上手ってことだけはなんとなくわかった。
フェンス越しに見る彼らはとても楽しそうで、生き生きしてる。私も、あんな風になれたら・・・。
「なぁ」
突然後ろから声をかけられて、びくっと身体をこわばらせる。恐る恐る後ろを向くとそこにはさっきまでサッカーをしていたはずの少年がいた。
青いユニフォーム。空の色。とても綺麗だと思った。
「な、なんでしょうか・・」
彼は立ってるうえに私は座ってるから、高さがかなり違った。見上げるとどうやら私と同じくらいの歳らしい。遠くでみたら、もっと大人っぽかった。
少年はしばらく私を見ている。じっと、ただ何をするわけでもなく。私も同じように彼を見上げていた。妙な沈黙がその場に流れる。
最初に口を開いたのは、少年の方だった。
「いつもそこから見てるけど、よかったら中入らねぇか?」
「え・・・?」
ちょっと赤くなって、頬をかく。思っても見ないお誘いだった。私のことを気にかけてくれる人がいたなんて。みんなサッカーに夢中だと思ってたから。
「監督には許可取っといた」
「え、でも・・」
「近くで見たほうが、きっと楽しいよ」
照れくさそうに笑った顔は、とっても楽しそうで。私もつられて赤くなりながら笑った。
きっとこの人は、サッカーを近くで見てほしいんだ。遠くからじゃなく、同じフィールドで見てほしいと思ってる。
私もかねてから中に入ってみたいと思っていたけど、全然勇気がなくて入れなかった。きっと近くで見るサッカーはとっても楽しいものだと思う。
「ありがとう、ございます」
少しはにかみながら、お礼を言うと少年はふいっと横を向いて車椅子を押してくれた。段差や小石がないところを選んで押してくれている。細やかな心配りができる人なんだなぁ、となんだか嬉しくなった。
「名前、伺ってもいいですか?」
「真田一馬」
「私はです。一馬さん」
「おう、覚えた」
後ろにいてもなんとなく表情がわかってしまった。きっとまた、赤くなってる。初めて会ったのに、とても安心できる人だと思った。
選手達のほうに近づくたび、視線が注がれる。ちょっと恥ずかしいな。だって車椅子の人がサッカー見るなんて。しかも全く知らない人。
顔を下に向けてたら大丈夫だ、と声がかかる。私を思っての心遣い。嬉しかった。
「はじめまして。西園寺といいます」
「あ、です。お邪魔します」
「ゆっくり見ていってね」
にっこり笑った西園寺さんは、とても綺麗な人だった。この人が監督さんなのかな。若いし女の人だなんて、びっくりした。
さっきまで休憩時間だったのか、それが終わって一馬さんはフィールドへと戻っていく。何か声をかけようとしたけど、いい言葉が出てこなかった。そしたら、チラッと私を振り返って小さく笑った。
見ててくれってことなのかな。ちょっと照れくさい。あんなに綺麗な笑顔見せられたら、赤くなっちゃうよ。高らかな笛の音と共に、彼らのサッカーが始まった。
もう、すごいという言葉しか浮かばない。スピードのある展開、ボールの跳ねる音、それを必死に追う選手達。ゴールを決めたときの笑顔。走るときの楽しそうな横顔。
フェンス越しに見ていたんじゃ、一生味わえないような感動だった。こんなに近くで見られるなんて、夢にも思っていなかった。
選手達の楽しさが私にも伝わってくる。楽しい。足が悪くなってから、こんな気持ちになったのは初めてだった。
一馬さんは一番前で、ゴールをたくさん決めている。そのたび私と目が合った。そして少し笑ったような気がした。
一馬さんがゴールを決めると私も嬉しくなる。同じ感動を味わってるって感じがする。
彼のプレー一つ一つが私をひきつけていた。
すっかり日も暮れて、練習も終わる。ぞろぞろと選手たちに囲まれていろいろなことを聞かれたけど、どう対処していいのかわからなくて戸惑っていた。
そこに着替え終わった一馬さんが帰ってくる。彼は私の周りにいた選手達を追い払って、また車椅子を押してくれた。途中まで送ってくれるそうだ。
「今日はありがとうございました、一馬さん。とっても楽しかったです!」
「いや、別にたいしたことじゃねぇよ」
「でも、近くで見られたのは一馬さんのおかげですから。本当にありがとうございました」
「どういたしまして」
それからしばらくは、サッカーの話をして帰った。ルールとかポジションとか、一馬さんの所属しているチームとか、サッカーをやっている友達のこととか。
話題が尽きなくて、楽しい時間を過ごせた。帰り道がずっと続けばいいのにと思ってしまう。
そして、交差点に差し掛かる。信号が赤に変わったから、また少しゆっくりサッカーの話が出来ると喜んだ。
「あの、一馬さん」
「ん?」
「もし、迷惑じゃなかったら・・・また見に行ってもいいですか?」
「もちろん、いつでも待ってるから」
その言葉、今日の中で一番嬉しかった。私が笑うと、一馬さんも笑ってくれた。
とっても素敵な笑顔だった。
「あ、ボール」
誰かが叫んだ。二人同時に前を見ると、そこにはころころと転がっていく一馬さんのボールがあった。さっきまで手で持っていたけど、何かの拍子に離してしまったんだろう。風にあおられ、交差点を渡っていく。
「一馬さん!」
一馬さんはボールを追いかけて、交差点に飛び込んでいった。そこへクラクションの音と共に、大きなトラックが突っ込んでくる。
私は車椅子をめいっぱい早く動かして、一馬さんを突き飛ばした。音は聞こえなかった。
空を舞う私。壊れた車椅子。交差点の端に横たわる一馬さん。
よかった、助かったんだね。これでまた、サッカーできるね。
最後に見たのは空の青。それは一馬さんが着ていたユニフォームの色だった。
それから。私の意識はなくなって、再びあのグラウンドに現れることもなくなった。
アナタとは住む世界が違ったの
異界に住むアナタに恋をしてしまった
これはその罰だったのかな
王子を守るために泡となった
私は人魚姫になれたのかな
王子のために泡となった人魚姫になりたかったんです。
花月
