持っていたのは生きることへの執念
捨てたのは人の心
そして導かれた世界は
まさに悪魔の住む場所だった
+黒い涙と白い月+
人通りの多い城下町の表通りを、一人の少年がふた切れのパンを抱えて走り抜ける。
その後ろからは、ガタイの良い数人の男たちが風のごとく走る少年を必死に追いかけていた。
「待て!このクソガキ!!」
人ごみを掻き分けながら迫ってくる男たちを振り返ることなく、少年は路地裏へと逃げ込む。
そして、ゴミ箱の陰から男たちが表通りを駆け抜けていくのを確認すると、ふっと汚い壁にもたれかかって息を吐いた。
「一馬!」
安心しきった時に上から自分の名を呼ばれ、少年――真田一馬はビクっとしてパンを隠す。
恐る恐る上を見ると、そこには親友の若菜結人がにっこり笑いながら手を振っていた。
「結人。なんで、こんなとこにいんだ?」
「俺の仕事は終わったからさ、一馬の手伝ってやろうと思って!」
結人は高い建物の上から軽々と飛び降りたあと、自慢気にくたびれた袋の中から今日の収穫を見せる。
中から出てきたのは、比較的まだ新しい蝋燭立てや皿、女もののアクセサリー。どれも自ら買ったものとは思えなかった。
それでも結人に追いかけられた様子はない。
「見つからなかったのか?」
「あたり前じゃん!何年やってると思ってんだ?」
にやりと不適な笑顔を見せた結人に一馬もそうだな、と笑ってみせる。
そして一馬が持っていたパンを袋の中にしまって、二人は再び表通りにくりだした。
小さな身体に似合わぬ大きな袋を重たそうに担ぎ、向かった先はこの街一番の食料品店。ここにはありとあらゆる食べ物がそろっていた。
店の前にくると、まず二人は店先に並んである品を物色する。どれもおいしそうなものばかりで、思わず見とれてしまった。
今回目をつけたのは、肉だ。普通の店なら店先に並んでいるものといえばフルーツや野菜ばかりだが、今日は特売品の肉がおいてある。これを見逃す手はなかった。
「結人」
「わかってるって」
目配せをしたあと、一馬が袋の口を肉が入る程度に広げる。もちろん、自分の背中を見せて袋が隠れるようにギリギリまで低くしていた。
そこに結人がそっと肉をしのばせる。何ヶ月ぶりかの肉が食べられるかと思うと、嬉しさで手が震えた。
肉を袋に入れようとした瞬間、店の中から男性店員が出てくる。そして不運なことに、二人と目が合ってしまった。
「こんの泥棒野郎め!!」
怒鳴り声と共に、男は二人めがけて走ってくる。急いで袋の口を閉めると、また人ごみの中を猛スピードで走っていった。
「やりっ!久しぶりの肉だぜ!」
「捕まらなかったらの話だけどな」
手馴れた様子で表通りを走る二人。対して店員は、逆走してくる人の波にかなりてこずっているようだ。
「ざまぁみろ!バーカ」
結人が後ろを向いて、遠のいていく男に向かい叫んだ。しかし、また前を向くと、今度は別の男たちが行く手を阻んでいた。
「げっ!こいつら・・・」
「ようやく見つけたぞこのドブねずみめ・・・!」
そいつらはさっきまで一馬を追いかけていた奴らだった。指を鳴らして徐々に迫ってくる男達。後ろに逃げようにも店員がニヤニヤ笑いながら詰め寄ってくる。万事休す。絶体絶命のピンチだった。
「一馬!結人!」
もうダメだと思われたそのとき、二人の少年が男に飛びかかる。そして数人の男たちをさも楽勝といった風に倒すと、そのまま一馬と結人に向き直った。
「サンキュー英士、ユン!助かったぜ」
「当然でしょ。それより、今日のブツは?」
「なんと!肉が手に入ったぜぃ☆」
「うそ!?やったぁ♪」
ユンが嬉しそうな笑顔を見せる。しかし、その笑顔はすぐに崩れ変わって青ざめた表情となった。
「ん?どうした?」
見れば他の3人も同じような顔をしている。結人が異変に気付き、恐る恐る後ろを向くと、先ほどまで追いかけていた店員がすぐ後ろまで迫っていたのだ。
「やべぇ!」
「ずらかるぞ!」
一馬の叫び声とともに4人は再び走り出した。自分達しか知らないような裏道を駆使してしばらく走ったところで、ようやく止まる。
見れば、店員の姿はなく遠くのほうに大通りが見えるくらいだった。
「あせった〜。せっかくのご馳走逃すところだったぜ」
乱れた息を整えながら結人がペタンと座り込む。それに習って他の3人も思い思いの体勢で疲れを癒した。
「にしても今日は豊作だったね」
「まぁな!そっちはどうだった?昨日の奴は高く売れたか?」
「全然ダメ。オレンジ1個にも満たない」
英士が差し出した小銭を見て、そうかと残念そうに息を漏らす。
「まっ!今日はコレがあるしな♪」
景気づけに結人が袋から出した肉をみて、3人の顔にも笑顔が戻る。久しぶりにまともなものが食べられそうだった。
「それじゃ、さっそく帰って料理するか」
「そうだね」
一馬が立ち上がると同時にユンも飛び跳ねるように起き上がる。そして4人は暗く汚い路地のさらに奥へと進んで行った。
物陰から幼い4人が行くのを見送ったあと、俺は汚い路地裏で立ち尽くす。
遠くからはまだ4人の笑いあう声が聞こえてきた。
さっきあの4人を見てようやく理解できた。あいつらは昔の俺達。この世界はまだDispar of nightmareが起きる前の平和な世界。
つまりここは、俺の記憶の中。あの赤い液に満たされたカプセルの力は俺の奥深くに眠る記憶を見せるというものだった。
この廃れた日々はまだ記憶にあった。いや、忘れられないといったほうが正しいだろうか。
俺たちは物心ついたときにはもう4人一緒に暮らしていた。親や兄弟はいなく、当然住む家も食べるものも何一つ持っていなかった。
だから盗んだ。当たり前のごとく。
最初は食料だけで精一杯だったが、次第に慣れてくると雑貨店やら宝石店やらで盗んだものを金に換えて生活していた。
家はもう誰も住んでいない空き家。今にも崩れそうなほど古いその家も、俺達にとっては立派な帰る場所だった。
この国が狂い始めてから、俺達のようないわゆる「どぶねずみ」はそこまで珍しいものじゃない。しかし俺達は成功率ほぼ100%のベテランだった。
こんな汚い世の中を子供だけで生きていくにはこれしか方法がない。いくら悪いことだと知っていても、飢え死にするよりはマシだった。
俺は拳を握り、塀を思いっきり殴る。ぱらぱらと外壁が落ちてくるのも気にせずに、ただ暗い路地の奥だけを見据えた。
「こんなもん、2度も見ちまうなんて・・・っ!」
こんな廃れた想い、二度としたくなかった。それなのに、この世界にいるとあの幼い少年たちの心が手に取るようにわかってしまう。
この先何をして、どんな結末が待っているのかも。
結局止めることも、教えてやることもできない俺は再び4人の後を追ってみる。
死んでいるのか、眠っているだけなのかわからないような人々が路地裏にはごろごろいた。
その人たちを厳しく睨みながら先へ進むと、ひときわ古い家がある。中から聞こえたのは4人の笑い声だった。
「うわぁおいしそ!」
「かじゅま!ちゃんと均等にわけただろうな?」
「ちゃ、ちゃんと分けたって!」
結人に問い詰められて、幼い俺はどもり気味でそれを返す。あの頃から俺はこんな性格だった。
肉を配り終え、4人は一斉に食べ始める。その様子はまるで飢えた獣のようだ。
「ん?どうした英士。肉食わねぇの?」
もごもごと結人が英士を見る。英士は半分ほど肉を残して、静かに中央にある炎を見つめていた。
「俺に、考えがあるんだけど」
「考え?」
隣にいたユンが食べるのを止めて英士を見る。他の二人も同様に。
英士は深刻そうに炎を見つめたまま、静かに言った。
「明日、奪おうと思うんだ」
「奪うって・・・盗むんじゃなくて?」
俺は不思議そうに声をあげた。あまりに辛そうに話すから、とても心配だったことを覚えている。
「もう盗むだけじゃやっていけない。たいした金にならないし、もうほとんどの店が俺達をマークしてる」
「だから確実に金がいる?」
英士の代わりに、ユンが静かに続きを言う。英士は黙って頷いた。
「そ、そんなことしなくてもいいじゃねぇか!食べ物盗むのなんて簡単だしさ、食いもんがあれば十分だろ!?」
結人の言葉を聞いた俺は、少し声を大きくして言う。
「食品店だって、もうほとんどは俺達に目をつけてるんだぜ。英士の言うとおり、確実に金を見せなきゃもうやっていけない」
でも、といいかけて結人はあきらめたようにうなだれる。本当は俺だって強奪なんかしたくない。だけど、生きるためには、食ってくためには、もうそれ以外の道がなかった。
こうして俺達の夜は更けていく。4人が4人とも、口を開こうとはしなかった。
次の日。一馬たちは大通りに散らばった。そして、金を持っていそうな奴を対象に、次々と鞄を奪っていく。
おかげでたんまりと金は入ったが、それと同時に罪悪感も一入だった。今までの盗みとはわけが違う。自分たちは確実に悪の方向へ進んでいっているのだと、わからざるを得なかった。
その日を境に、4人は次々と悪事を働く。奪うという行為が、彼らの糸を切ってしまったかのように、どんどんエスカレートしていった。
盗む、奪う。上手くいかなければ躊躇うことなく傷つける。そしてついには、人を殺しても何も感じなくなってしまった。
まだ幼かった一馬たちも、年齢を重ねるにつれて体格も良くなってくる。奪った金で買ったナイフを手に、次々と人を殺めていった。
そして5年もしないうちに、彼らは街で一番恐れられる青年になっていた。
生きるために奪う。生きるために殺す。
昔は罪悪感に苛まれていたが、今はなにも感じない。人を殺そうが何をしようが、もう彼らには当たり前のことをしたとしか思えなくなっていた。
そして今日も、一馬は街で5つの指に入るほどの富豪だという男を殺して、金を奪っていった。
「お疲れ、一馬」
重たい財布を汚れた麻の袋に入れているところに、後ろから声をかけられる。
月明かりに照らされている英士をみて、一馬はホッと息をつく。また目撃者を出してしまったらもう一人殺さなくてはならない。そんな面倒なことはしたくなかった。
「どうだった?今日の首尾は」
「上々だよ。一馬も景気よさそうだね」
「もうすぐ祭りがあるらしいから、スポンサーは金持ってるんだよ。さっきの奴だって、いつも以上に持ってたらしいし」
袋の重みを確かめるように軽く上下に揺らしながら言うと、英士は気楽なもんだね、とため息をつく。
二人で歩く路地はいつもに増して暗く感じた。
「そういえば、ユンと結人も今日はこの近くでやってた気がする」
「そうだったね。せっかくだから4人で帰ろうか」
一馬が最後に結人を見たのは隣の路地だった。挨拶を交わした後すぐにさっきの男を見つけたから、間違いない。
二人は隣にある路地へと足を進めた。そこには案の定、倒れている数人の男と血にまみれたユンたちの姿があった。
「あ、一馬!ヨンサ!」
ユンがそう叫ぶと、結人も二人を振り返って笑う。返り血など全く気にしていないような、自然な笑みだった。
「どうしたんだ?こいつら」
大量の血を流して倒れているのは、金を持っていなさそうな。いや、どちらかといえば自分達と同じ環境で生きてきたような奴らだった。
「あぁ、なんかさっき見られちゃって。面倒だから殺しといた」
なんの悪びれもなく言うユン。他の3人も、大して気にもしないで軽く受け流した。
「さってと。さっさと帰ろうぜ。血がこびり付いちまう」
お世辞にも綺麗とはいえない服を見ながら結人がうえっ、と舌を出す。
そうだね、と英士に続いて4人が路地の奥へ行こうとしたとき。ただならぬ殺気を背後から感じた。
一斉に後ろを振り返る。そこには、全身黒いスーツで身を固めた奴らに囲まれて一人の男が立っていた。
不適に笑うその男からは、今まで感じたこともないような不快感を感じ取れる。4人はすばやくナイフを構えた。
「君たちか?最近街で略奪や殺しをやってるっていう少年たちは」
男の質問に一馬たちは答えない。ただ黙って睨みつけているだけだった。
男は肩をすくめて、また低い声で続ける。
「どうやらそのようだな。そんなに警戒しなくても、別に取って食おうというわけじゃない」
「・・・・・・・・・・・・・俺達に何のようだ」
出来るだけ冷静に、一馬がつぶやく。その声は敵意に満ちていた。
「君達の力を見込んで、一つ提案があるんだ」
「提案?」
結人の言葉に男はゆっくり頷く。
「BLACK TEARSに入らないか?」
男は、まるで悪魔のように微笑んだ。今まで幾度となく悪事を繰り返してきた4人も、この男に対して凄まじい恐怖を感じていた。
逃げ出したい衝動を抑えて、今度は英士が口を開く。
「BLACK、TEARS・・・?」
「そうだ。知っているか?」
素直に首をふるユンを見て、男は静かに説明を始めた。
「この世界をつぶすため、遥か昔に作られた組織。それがB・Tだ」
「世界を、つぶす・・・だって?」
「そう。この世界は汚く、醜い。大きな家に住み、食べ物にも不自由せず、十分すぎるほどの教養を受けて育つ奴もいれば、君達のように人を殺して金を奪わないと生きていけない奴もいる。あまりにもこの世は不平等だ」
確かにこの男の言うとおりだと、4人は思った。俺達が生きるために必死だったときも、まわりには裕福すぎる奴がうじゃうじゃいた。
なんで俺達だけがこんな目にあわなくちゃいけない?
「だから思い知らせてやるんだ。この腐った世界の住人たちに」
そう言うと同時に男の手には黒い水のようなものが浮かんでいた。不思議な出来事に思わず4人は退く。
「これは黒涙。これを人間の体内に入れれば、心の中にある闇が増幅して思い通りに操ることができる」
「まさか・・・それを俺たちに埋め込んでお前の手下になれとでも言うのか?」
一馬は相変わらず男を睨みながら、声を張り上げた。男はそれでもひるむことなく、今度は首を横に振る。
「それは、普通の人間に入れたらの話だ。俺の見たところ、お前達にはB・Tの一員になるべく素質がある」
男の目がしっかりと4人を見据えた。
「幼いころから世の中を憎んでいたお前達なら、この世界を壊せるはずだ」
「世界を・・・壊す・・・」
ユンがまるで憧れでもするように、男を見た。
「それにB・Tの一員にはめ込むのは特別製。自我を失わせるようなことはしない」
どうだ?と男が4人を順番にみる。まだ迷いが残る中で、一人が前へと進みだした。
「一馬・・・」
結人の声に振り向くことはせず、一馬は男の前に立つ。その目にはしっかりとした意思が感じられた。
「それでいい」
男が笑いながら言うと、その後ろに3人も続いた。
「お、お前ら!」
驚いたように一馬が声をあげる。すると3人はいつものように笑みをこぼした。
「俺だって、この世界にはうんざりしてたとこだからな」
「そうそう。みんな同じ気持ちだよ」
「一馬だけじゃ、心もとないからね」
それぞれ言葉は違うが、気持ちは一つだった。一馬は大きく頷いて、笑顔を見せる。
再び男に向き直った4人に、男は不適な笑みを浮かべた。
「俺の名は榊。B・Tのリーダーだ」
榊につれられ、4人は暗い路地を後にする。後ろを振り返るものは、誰一人としていなかった。
暗く閉ざされた道は、悪魔の手によって開け放たれた。


