あいつはいつも笑ってる









とても幸せそうに とても楽しそうに









だから俺もつられてしまう










俺が笑うようになれたのは










きっとあいつの笑顔の所為










































































黒い涙白い月






































































昔の俺達がB・Tに入ってからしばらくして。相変わらず殺しなどの汚い仕事はしていたが、その代わりやっと自分たちの居場所を見つけられたような満足感があった。

黒涙を埋められてから徐々に特殊能力にも目覚め、俺達は完全なB・Tの一員になりつつある。そんなある日。俺は榊さんに呼ばれ、久しぶりに本部の中へ足を踏み入れていた。

暗い闇に溶け込む俺自身を追いかけて、まだ少し新しさの残る本部を歩く。見慣れていたはずの本部に今はなぜか違和感を覚えた。

本部管理室へつき、昔の俺が中に入る。俺はドアをすり抜けて、後を追った。

この頃の記憶はすでになくなっている。つまり、なぜ俺が榊さんに呼ばれたのかもわからなかった。

「お呼びでしょうか」

「まぁ、座りたまえ」

大きなデスクの前にあるソファに座ると、窓から外を見ていた榊さんもデスクについて、俺を見る。

最初は仕事の話かと思ったが、考えてみれば過去に仕事のことで榊さんに呼ばれたことはなかった。仕事は全てB・T一の古株である三上から伝えられていたからだ。

少なからず緊張していた俺に、榊さんはそんなに緊張するな、と笑みをこぼした。

「お前を呼んだのは他でもない。新しい仕事についてだ」

榊さんから直々に伝えられる仕事。それがどれだけ重要で大きな仕事かなんてこと、聞かなくても分かっていた。思わず息を呑む。

「今回の相手は、昔ここから逃げ出した研究員の一人娘だ」

「逃げ出した?」

「そいつはB・Tの研究に第一線で関わっていた男だ。しかし、我々の目的を知ったとたん、恐れをなして逃げ出した」

「なら、なぜその男ではなく娘を殺すのですか?」

「研究員はすでに三上が始末した。だが、そいつの持ち出した研究資料が未だに見つかっていない」

「研究資料?」

「そうだ。その資料には黒涙の製造法をはじめとする超S級の機密事項が記されている。それが世に知れ渡れば、その時点で我々の計画は終わるのだ」

「その研究資料を一人娘が持っている可能性がある・・・・ですか」

神妙に頷く榊さんを見て、俺の頬を冷や汗が伝う。予想通り、いやそれ以上に大きな仕事だ。もし失敗すれば、俺だけでなくB・T全体に迷惑がかかる。

「榊さん、なぜそんな大仕事を俺なんかに・・・。三上の方が適役では」

「今回の仕事で最も優先すべきことは研究資料の確保だ。しかし、それが人に知れてはいけない。もちろん、その娘にも」

「だから、俺の能力がいるんですね」

「あぁ。もし娘が資料の存在を知らなかったら、自ら教えてしまうことになる。それだけはなんとしても避けたいんだ」

「わかりました」

「よし。お前の仕事は、娘の家にあると思われる資料の確保。それが終わり次第口封じとして娘の始末。以上だ」

「了解」

一礼をして俺が部屋から出て行くのと同時に、俺も再びドアを通り抜ける。足早に廊下を歩く俺の後ろ姿を見ながら、思考を巡らせた。

俺の能力であるサイコメトリー。それは対象物に触ることでそこに残る『残留思念』を読み取る力。それを使えば、娘の家に入って家具や置物などを触ることで、研究資料の在り処が分かる。

そうすれば、娘に気付かれることもなく穏便にことが運ぶだろう。

目の前を歩く俺は榊さんに渡された地図を見て、娘の家へ行く。華やかな城下町の大通り。どうやらその家は花屋を営んでいるようだ。

昼間の大通りは人が多い。その中を全身黒尽くめの服で歩けば、当然目立つ。まぁ、そのおかげで俺が昔の俺を見失うことはなかったけど。

しばらく行くと、花の香りが辺りを漂った。まるで花畑にでもいるかのように、気持ちが軽くなる。そして俺は一軒の店の前で足を止めた。

(ここが・・・その娘の家か)

店先に並べられた花はどれも手入れが行き届いていて、とても美しく咲き誇っていた。客も数人いるようだったので、昔の俺は物陰に隠れて様子を見るようだ。

それに対して俺はこの世界の住人に姿を見られることはない。堂々と花屋の中に入っていく。奥から花を切る音が聞こえてきた。一人で切り盛りしているのだろう、彼女以外に店員らしき者はいない。

すると、突然一人の子供が俺の身体をすり抜けてレジの前に立った。なんだか変な感じがして、思わず身体に異変がないか確かめる。

考えてみれば、俺が自在に人や物をすり抜けられるんだから、この世界の奴らも俺をすり抜けられるんだよな。

子供はしばらく店内を見回してから店の奥をのぞいた。そして少し戸惑ったあと、小さな声ですみません、と声をかける。

「はーい」

凛とした声が聞こえてきたと同時に、花を切る音も止む。それからすぐにレジの後ろにある木製のドアが開いた。

そこから現れた娘の姿に、俺は絶句する。あれは、どこからどう見ても・・・


































































じゃないか































































「こんにちは」

レジの陰に隠れて恥ずかしそうに俯いている子供に、は優しく微笑みかける。

その笑顔も、涼やかな声も、何もかもが白月の姫、そのものだった。

なぜ、がこんなところにいるんだ?奴は別世界から来たはずなのに。なぜ俺の記憶の中にいる?

いくつもの疑問が浮かんできて、頭の整理が追いつかない。もしかして、俺が始めてに会ったとき感じた頭痛は、この所為だったのか?

そうだ。きっとそうに違いない。それなら全ての辻褄が合った。

に感じた懐かしさも、変な頭痛も全てはがこの世界にいたっていう証拠だったんだ。

しかし、記憶をなくした俺ならともかく、は俺を見たときに何の反応も示さなかった。顔合わせに向かったときも、特に不自然な感じはしなかった。

「なにがどうなってんだよ・・・!」

俺はくしゃっと頭を抱える。俺の過去について理解するにはまだ情報が足りなすぎた。

とにかく、今は俺の記憶をたどっていくしかない。

俺は再び、たちの姿に目を向けた。

「どんなお花を買いにきたのかな?」

優しく子供に話しかける。子供は照れたように一枚の紙切れを手渡した。

はその紙をみて、納得したように頷くと待っててね、と言って店内の花を手早く集めていった。

数本の花を白い紙で束ね、花束を作る。そしてそれを子供が持っていた籠に入れた。

「一人でおつかい、偉かったね。はい、コレ」

子供の頭を撫でながら数輪の黄色い花を渡す。子供はにっこりと笑ってお礼を言った。

「バイバイ、お姉ちゃん!」

大きく手を振りながら子供は店を飛び出して、大通りを駆けていく。も手を振ってその後ろ姿を見送った。

子供の姿が完全に消えると、今度は花を選んでいる客に綺麗な花を勧める。その間もの笑顔は絶えることがなかった。

店先で知り合いに声をかけられるときも、客に花を手渡すときも、水遣りをしているときも。

今と変わらぬ笑顔を浮かべていた。

自然と笑みがこぼれる。本当に幸せそうに、楽しそうに働く

活き活きと輝いているを、俺は心のそこから羨ましく思った。

それと同時に、とてもとても。

愛しく感じた―――








































































夕日が沈み、辺りが暗闇に包まれる頃。俺はようやく物陰から姿を見せる。店のほとんどがCLOSEの看板を掲げ、しっかりとシャッターが下ろされた。

俺も目標であるあの花屋も、店先に並んでいた花を中に運んでいた。慣れた様子でその作業を行う女。どうやらそいつが今回のターゲットらしい。

程なくして女は花を全て片付け終え、シャッターを閉める。そして俺はゆっくり女の後ろに立った。

俺の影に気付いた女は、一瞬身を強張らせ、恐る恐る後ろを向いた。

俺よりも背の低い彼女が不安げに俺を見上げる。そして目が合った瞬間、きゃっと短い悲鳴をあげた。

そんなに怖い顔してるか?

「あ、あの・・・何か、ご用でしょうか?」

震える声で尋ねる女に、俺は出来るだけ声をやわらかくして言った。

「夜分にすみません。自分は旅の者ですが、今晩宿を貸していただけないでしょうか」

敬語なんて、榊さんに対して使う程度だったから上手く使えたかわからないけど、とりあえず丁寧に話した。

すると彼女はにっこり笑って、俺を家の中へ招き入れる。どうやら、相当のお人よしらしい。

こんな簡単に見知らぬ他人を家に入れていいのか?まぁ、こっちにとっては好都合だけど。

彼女の後に続いて、俺は店の裏へ回る。そこから、小さな階段を上がって店の2階にあるアパートの一室へ入った。

「どうぞ、お入りください。今暖かい飲み物をお持ちしますね」

彼女がティーセットを持っていくのを見届けたあと、ゆっくり部屋を観察した。

テーブル、ベッド、クローゼットに本棚。その他、特に変わったものは見当たらないような平凡な家。これが本当にB・Tの研究員の家なのだろうか。

部屋の中央にあった木製のテーブルに腰掛けて、さっそく仕事を始める。手始めにこのテーブルからだ。

俺はゆっくり右手を当てる。すると、一人の男がこのテーブルに腰掛け、窓の外を見ているビジョンが見えた。この男が研究員らしい。

今度は花瓶だ。目を閉じ、全神経を集中させ、花瓶に触ろうとした瞬間。食器の当たる音を聞いて、俺はハッと前を見た。

「どうかしましたか?」

「あ、いや・・・別に」

曖昧な答えを返して、すぐ花瓶に触ろうとしていた右手を引っ込める。そうですか、とまた笑顔に戻って彼女は俺に紅茶を差し出した。

目の前に座って彼女は紅茶に手をつける。その姿を見て、俺は言葉を失った。

さっき遠くで見たときには何も感じなかったが、近くで見るとかなりの美人。元から女が苦手な俺が、はたしてこんな奴相手に仕事なんかできんのか?

(結人なら逆に張り切れるんだろうな)

熱いお茶を飲みながら、そんなことを考える。

だけど今はそんなことも言っていられない。B・Tの存続が関わっている大きな仕事だ。どんな理由であれ、ミスは許されなかった。

「あの、旅人さん。お名前は?」

「真田、一馬」

なぜか急に恥ずかしくなって、ぶっきらぼうに言い放つ。心臓も早く脈打っていた。

「私はといいます。こちらへは、何をしに?」

「実は旅の途中でたまたま寄ったんですが、お金が底をついてしまって。できれば、数日の間泊めていただけませんか」

できるだけ不信感がないように言う。それでもまだぎこちない俺に、は素敵な笑顔を見せて頷いた。

「父の部屋が空いていますので、そちらをお使いください。あ、それと私のことはで構いませんので」

堅苦しいのは嫌いなんです、とは困ったように笑う。俺もつられて笑みをこぼした。久しぶりに笑えたような気がした。

「それじゃあ、私はもう休みますね。おやすみなさい」

恭しく礼をして、は自分の部屋へ消えていく。俺もすぐに彼女の父が使っていたという部屋へ入り、靴を脱いでベッドに寝転がった。

「とりあえず、潜入成功だな」

申し訳程度に灯る部屋の明かりを見つめながらつぶやく。

これから、数日間で研究資料を見つけ出さなくてはならない。それにはまず、怪しまれないことが第一だ。

が昼間仕事をしている間は、俺もB・Tに戻って仕事をしたほうがいい。そして夜。この部屋からサイコメトリーして、本来の目的を果たす。

父の部屋を与えられたのは幸運だった。おかげで、誰にも見られることなく仕事が出来る。

ふと、の笑顔が頭をよぎった。思えば、今まで女の人の笑顔を見るなんて経験したことがない。しかも、あんなに優しい笑顔。

俺は強く頭を振る。これは仕事。余計な感情をはさむわけにはいかない。

それでなくても、最終的にはあの女を始末しなくてはならないのだから、私情など挟めば仕事がやりにくくなるだけだ。

ベッドから起き上がり、窓の外を見る。目の前に広がるのは、一見平和に見える街の姿。

でも、俺は知っている。この世界の裏側に生きる者たちの存在を。

そいつらは今日も腹をすかせ、寒さに凍え、冷たい道の上で眠る。

誰の加護も受けられないままただ世の中を憎み、そして思う。

なぜ俺達だけがこんな思いをしなくてはならないのか。

俺はB・Tに入るとき、黒涙を埋められるときに誓ったはずだ。あんな生活には絶対戻りたくない。だから―――





















この世の全てを狂わせてやろう






















自然と握っていた拳から赤い血が流れだす。今まで幾度となく見てきたこの赤い液。俺は何度これに染まっただろう。そして、なんどこれに染まるのだろう。

あの女――の流す血も、これと同じ赤なんだろうか。