気が付けば夜なんてとっくに明けていた。
カーテンの隙間から射す朝日がまぶしくて、私はしばらく目を閉じる。
昨日の夜、ミヤに抱かれたこの熱い身体をさますように、冬の日に顔を向けた。
時計を見ると、もう姉たちが帰ってきている時間。朝ごはんも作ってなかった。
だけど、もう少しだけこのままでいたい。隣で眠るミヤの傍に。
いけないことなんてわかっていた。だけど私は愛してしまったの。
この、御柳芭唐という人を――
夜人形-Night Doll-
愛しさの余韻に浸りながら、私はのろのろと散らばった服を着る。ふと、目の前にある姿見を見れば、身体の所々に赤い花が添えられていた。
そっと手で触れれば枯れてしまいそうで怖かった。だけど、ミヤの残したこの痣さえも愛おしく感じる。
重症だ、なんてため息をついてまだ幸せそうに眠っているミヤに視線を移した。今なら笑えるのかもしれない。もう一度姿見を見る。
しかし、そこに映っていたのはやっぱり無表情の夜人形だった。
もう何年笑っていないんだろう。笑っていない顔が当たり前になってしまった自分が嫌いだった。それと同時に思うことがある。
私に笑う資格なんてない。だって私は・・・。
「」
下着のまま姿見を見ていた私の後ろで、ミヤが眠たそうな声をあげる。振り返ると案の定、目を擦っているミヤがいた。
「おはよ」
「あぁ・・・ってお前なんでそんなかっこして突っ立ってんだ?寒くね?」
「寒い」
「くっくっくっ!意味わかんねぇって。早く服着ろよ」
私と同じように、ゆっくりとベッドから抜け出したミヤは上半身裸のままでコーヒーを淹れにキッチンへと向かっていった。
そっちこそ寒そうな格好してるのに。なんて思ったりもして、私はさっさと服を着る。脱ぎっぱなしだった服は冬の夜にすっかり凍えてしまっていた。
身を震わせ服を着終わったら、長い黒髪を簡単に整えてまた姿見を見る。
夜人形。金さえ払えばどんな相手でもヤってくれる女。
そんな私が始めて感じたこの気持ち。恋という気持ちを知ってしまった。
愛しくて、愛しくて、ずっと傍にいたいと思ってしまって、この想いにどうやって対処していいのかわからない。
今までそんなことなかったから。相手は相手、自分は自分。全て切り離して考えてきた。他人のことなんて思いやる必要などない。
お金をもらって身体を売る。それだけの関係。深みにはまった事なんてなかった。
だけどミヤに出会って、私は恋を知った。これが恋。心の底からあったかくなるような、不思議な気持ち。
少しだけ、お湯を沸かしているミヤの背中を眺めてみた。
それさえも愛しく感じてしまう。そして、幸せだと思ってしまった。
-あんたの所為よ!!-
ふと蘇った昔の言葉。それと同時にあの人の泣き顔も浮かんでくる。
やっぱりダメだ。私は恋なんてしちゃいけない。そんな資格あるわけがないんだ。
笑うことも、泣くことも、恋することも、愛することも、そんなことするなんて許されない。
やってはいけないことをした。その罰として、神様は私から表情を奪った。
されるがまま。罪を犯した私への罰は、人形として生きること。死ぬことも許されない、永遠の苦しみ。
そんな私が、愛なんて・・・。
コーヒーを淹れ終ったミヤがトレーと一緒にこっちへ戻ってくる。その背中を見つめていた私は、慌ててベッドに腰掛けた。
ミヤはそれを知ってか知らずか、にやっと笑って私の隣に座る。前までなんともなかったのに、なぜだか急に恥ずかしくなった。
ミヤと会ってから、おかしなことばかり起こる。
「なに照れてんだよ、ちゃん」
「照れてない」
「嘘。顔赤い」
「嘘。赤くない」
「ちっ。でも照れてんのはホントだろ?」
「・・・・」
「やっぱりな♪」
今度はにっこり笑って、コーヒーを飲んだ。私もつられてカップを手に取る。あったかい湯気が顔に当たって、一口飲めば全身に暖かさが行渡った。
不意に隣のミヤが眼に入った。その顔は真剣で、何かを考え込んでいるみたいだ。
しばらくそっと眺めていると、急にミヤがこっちを向いた。動揺して持っていたカップを落としそうになる。
「なぁ、」
「なに」
どもりそうになる口をなんとか引き締めて、私はいつも通りに(少なくとも自分の中ではいつも通りのはず)言葉を発した。
私の目に映るミヤの瞳は真剣で、また昨日の夜みたいに引き込まれてしまいそうだった。
頭がボーッとしてくる。何も考えられない。
やっぱり私は、恋をしてしまったのだろうか。
「俺達、付き合わねぇ?」
頷いてしまいそうな自分がいて、その気持ちを無理やり心の奥へとしまいこむ。
いけない。私は恋なんてしちゃいけない。する資格なんてない。お願いだから、そんなこと言わないで。
だけど、ミヤの目に見つめられるとどこまでも気持ちがあふれ出てきた。押さえ込んでも、押さえ込んでも、ダメ。泉のようにわきあがる想いは、もはや止められない。
「っ・・・!」
はがゆさのあまり下唇を強く噛む。そして、その目を見ないように顔を背けた。
いけない、ダメ。私は罪人。顔を失った哀れな罪人。そんな私がミヤと付き合うことなんてできない。
「ダメ・・・」
「・・・なんでだよ」
「私は、恋なんてしちゃいけないの」
「んなはずねぇだろ。俺はが好きだ。が俺を好きなら、それでいいじゃねぇか」
「だって・・私は・・・」
「?」
下を向いたまま立ち上がった私を、ミヤは不思議そうな表情をして見上げる。
ごめんね、ミヤ。私はダメなの。
「ゴメン・・・!」
小さく呟いて、私はそのまま部屋を飛び出した。
後ろから私の名を呼ぶ声が聞こえる。何も持たずに一目散に走った。
朝の街はまだ人がいなくて、寒々しい風景。そんな中をただ一人猛スピードで駆け抜ける。
こんなときですら、私は涙ひとつ見せられない。こんなに悲しいのに、こんなに寂しいのに、こんなに切ないのに、私は未だ無表情のまま。
ミヤの気持ちに答えたい。ミヤといつまでも一緒にいたい。だけど、それは許されないの。
私は罪を侵してしまった。大きな罪を・・・。
-あんたの所為よ!!-
またあの言葉が蘇る。
そう、全ては私の所為。こうなってしまったのも、家族を巻き込んでしまったのも、全ては私が原因。なにも偽りはない。
だけど、それでも私は望んでしまう。
もし、許されるのなら、全ての罪を包み込んでくれるのなら、私はミヤと一緒にいたい。
きっとミヤなら私の全てを知っても包み込んでくれる。そんな気がした。
これは傲慢な考えかもしれないけど、なぜか安心できた。きっとミヤも心に深い闇を抱えている。私と同じような深い闇。
だから私たちは惹かれあって、ミヤは私に好意を寄せた。
私もその気持ちに答えたい。ミヤの闇を救ってあげたい。
許されない恋をしてしまった私を――
誰か、裁いて


