自分の家までどうやって帰ったのかなんてわからなかった。
ただ思い出せるのは、最後に見たミヤの顔。寂しそうな、切なそうな。
朝帰りなんて毎日のようにしていたけど、こんなに気分の悪い朝帰りは他になかった。
これから返ってくる姉と兄の朝ごはんも作らなくちゃいけない。でも、そんな気分では到底ない。
私はすぐに自室のベッドに飛び込み、泣いた。
私は罪人。とんでもない罪を犯した、神に嫌われた子ども。毎日のように身体を売るのは、汚い自分を隠すための術。
涙は流れるけど、顔はゆがまない。人形のような自分の姿にやがて涙も止まった。
私はこうして生きていく。誰にも心を開かず、誰にも悟られないまま。
朝日はやがて雲に覆われ、窓には雨が打ち付けていた。
夜人形‐Night Doll‐
涙も枯れ果て、部屋から出ると静かな家の中に雨音が響いていた。
時計を見ると、もう学校へ行かなくてはならない時間。しかし、こんな状態で学校へなんていけやしない。外は雨だし、今日は休もうとはソファに腰を下ろした。
時計の音と雨の音がやけに大きく聞こえる。いくら泣いてもの心は晴れなかった。この雨のようにぬれている。
ミヤが好き。どうしようもないくらい、その思いは膨らんでいた。こんな気持ち始めてだったから、嬉しくて、愛おしくてたまらない。ミヤが好きだと言ってくれたことも、すごく嬉しかった。
でも私には恋なんてできない。そんなことする資格、私にはないのだから。
は好きだと言ってくれた芭唐の言葉を思い出し、また一人涙を浮かべる。本当は今すぐ芭唐の傍に言って恋人同士になりたかった。でも罪の意識がそれを許さない。
頭の中も心の中も、芭唐のことでいっぱいだった。そうして時間は過ぎてく。
やがて、玄関のほうでドアを開ける音がした。は急いで涙を拭い、ソファから立ち上がる。時計を見るとちょうど姉達が帰ってくる時間だった。
「もーいきなり降ってくるんだもん、最悪だわ」
「俺みたいにいつも折り畳み傘携帯しとかないからこうなるんだよ」
リビングのドアを開けて入ってきたのは茶色い長髪に軽くウェーブをかけている背の高い姉と、いかにもホストといったような髪型にスーツを着ている兄だった。
この雨の中帰ってきた所為か、姉のほうは全身ずぶ濡れ。しかし、兄のほうは折り畳み傘を持っていたので少ししか濡れていなかった。
ホステス界でも1、2を争うほどの大型店、そこのNO.1ホステスを務める姉の。そしてこちらもホスト界で1番人気のある店のNO.1。兄の快意(かい)。
と顔は似てないが、さすがはNO.1ホステスとホストだけあって顔がすこぶる良い。そのまま芸能界にいってもなんの違和感もない。
「お帰り」
静かな声でそう言えば、ただいまと元気な声が返ってきた。一晩中働いていて、どこからそんな元気が出てくるのかわからなかったが、とにかく体力だけはある人たちだった。
「、学校は?」
タオルを二人に手渡すと、の方からそんなことを聞かれる。調子が悪いというと心配をかけると思ったは、ただ寝坊したと答えた。
「ごはんまだ作ってないから、ちょっと待ってて」
姉たちが働いている代わりに、がこの家の雑務全てをこなしていた。料理、掃除、洗濯。いくら夜は家にいないとはいえ、それらを怠ることはない。
「、ちょっと待って」
キッチンに向かう途中で、はに呼び止められる。何?と振り返ると、ソファに座ったがを凝視していた。
「なんかあったでしょ?」
「どうして?」
「目、はれてるから」
自然と手が目に当てられる。さすがは姉妹、の些細な違いも見逃さない。
「なんでもない。大丈夫」
「大丈夫じゃねぇよ。めったに泣かないが泣いてんだ。よっぽどのことだろ?」
快意もを心配してそう言った。やっぱり姉や兄に隠し事はできない。はに諭されるままソファに座った。
「何があったの?」
が優しくの頭を撫でる。その優しい手つきにまた涙が溢れそうになった。
必死にこらえてはの方を見る。その目が心配だと言っていた。
「好きな人が・・・できたの」
俯きながらそういうと、も快意も一瞬言葉を失った。あの事件以来、感情を失ったがまさか人を好きになる日がこようとは思っていなかったのだ。
人を拒絶し、他人には絶対に心を開かない。最近やっと家族にだけ心の内を話すことはあったが、それでもまだどこかしらぎこちなかった。
そのに好きな人ができた。それは達にとって、とても喜ばしいことだった。しかし、なぜそれでがこんなに暗くなっているのかが理解できない。
「その人に何かされたの?」
は静かに首を振る。そしてまたぽつりと呟いた。
「好きだって言ってくれたの。私、とっても嬉しくて・・」
を愛してくれる人。その人の存在にと快意はとても感謝した。感情のないを気味悪がって近寄らない人が多い中、その人はを愛してくれている。
だが、まだ原因はわからない。
「それじゃあ付き合うことになったの?」
の言葉にはまた首を振る。
「わかんねぇな。なんでそんなに落ち込んでんだ?」
快意も首をかしげる。それでもは黙ったまま、下を向いていた。
「。話してみてくれないかな。なんでがこんなに傷ついてるのか」
はの目を見て微笑んだ。はその笑顔を見て、今は亡き母親の姿を思い出す。
-ちゃん-
遠い昔の記憶が蘇った。今の自分を母親が見たらどう思うか。きっと幻滅するだろうな。そんなことを考えながら、は口を開く。
「私、断っちゃって・・・その人の気持ちに答えられなくて・・・」
こらえていた涙が溢れ出した。頬を伝う冷たい感触がさらに涙をさそう。
「はその人のこと好きだったんでしょ?どうして断ったの?」
「私には、恋愛する資格なんてないから・・・」
また達は言葉を失った。それと同時に昔に起きたあの事件を思い出す。
あれは達にとっても、すごくショックの大きな事件だった。しかし、それ以上には辛かっただろう。いや、今もその事件はを蝕んでいる。
父親も母親も、感情も失い、は一人暗闇を彷徨っている。それでも救いを求めないのは、自分に対する戒めのつもりなのだろう。
それほどの抱えている罪の意識は大きかった。
「・・・恋愛する資格がないなんて、どうしてそんなこと言うの?」
「だって私は罪人だから。私の所為で・・・」
涙はすでに止まっていた。渇いた瞳は暗く曇り、深い闇が広がっている。
十年近くたった今でも、あの事件の傷は癒えていない。自らを罪人といい、恋愛する資格がないと自らに罪を着せる。
その行為に達は悲しみを覚えた。守ってやれなかった罪悪感すらある。
「の所為なんかじゃないよ。あれはしょうがなかったんだ」
快意がの肩に手を乗せ、優しく言う。しかしそれでもの目は暗くよどんでいた。
「ゴメンね、お姉ちゃん、お兄ちゃん」
「なんで謝るの?」
「だって、こんな妹ほしくなかったでしょ?」
「そんなことない!」
「嘘。本当は心の底で思ってる」
は二人の顔を同時に見つめた。その目にと快意は寒気を覚えた。
いつからこんな目をするようになったんだろう。いつからは笑わなくなったんだろう。
全ての原因はあの事件にある。父と母が亡くなったのも、と快意がこんな仕事をすることになったのも、が表情を失ったのも、全てはあの事件の所為。
「私は罪人なの・・・」
「・・・」
そう、だって私は――
「人殺しだから」


